Smiley face

 舞台にテレビドラマ、音楽番組の司会、コンサートと、俳優として歌手として多彩な表情を見せる石丸幹二さん。自身の歩む方向を見つめるとき、傍らに何があったのでしょうか。いまを形作った「みっつ」を聞きました。

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俳優・歌手の石丸幹二さん=大阪市浪速区、滝沢美穂子撮影

石丸幹二さんの「みっつ」

①浅利慶太さん ②NHK教育テレビ(現・Eテレ)の番組「芸術劇場」 ③楽屋のれん

 《東京芸術大学音楽学部声楽科に在学中、「劇団四季」でミュージカル「オペラ座の怪人」ラウル・シャニュイ子爵を演じデビュー。創設者の故・浅利慶太さんに学んだ》

 師匠なんです。歌の勉強をしている学生を演劇の世界に導いてくれました。「お前が舞台に立つとき、まるで高校野球の決勝に向かって予選からずっと勝ち抜いてきたような、そんな姿を私は見るんだよ」とおっしゃっていた。試合を重ねるにつれて何かを学んで変わっていく。僕はどちらかというと不器用な方ですから。作品に恵まれたのは、浅利先生が長い目で見て、チャンスを与えてくださったからですね。

 厳しかったですけどね。だめなときは「稽古場から去れ」と言われるんです。彼いわく、「私はお客様と同じ目線で見て、(お前に)鏡を当てているんだ。傷つけるつもりじゃなくて、それが客観視というものだから。だめなときはだめだと言わせてくれ」と。そうやって、おのれを知っていきました。

 諸先輩を見て盗め、とよく言われました。手取り足取り教えられたところでマネにしかならないでしょう。どう吸収するかなんだ、って。

 「人の時計を見るなよ」とも言われました。みんなそれぞれのスピードがあるじゃないですか。吸収の仕方、表現できるまでの時間。すぐできる人につられて自分を見失うなと言われましたね。ウサギとカメの話を出して、「カメは休まず進むだろう。ウサギは疲れて昼寝するから、その間にカメは抜くんだ。最後にはゴールにたどり着くんだから、人の時計を見るな」と。この言葉は本当に支えになりました。宝物です。

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「ハムレット」の稽古場で浅利慶太さん(左)の演出を受ける石丸幹二さん=2001年、山之上雅信氏撮影

 《看板俳優として活躍し、2007年に退団。浅利さんとの再会には10年かかった》

 二度と戻ることがないという思いで辞めましたから、外で自分なりの何かができるまでは会えないと思っていました。

ここから続き

 17年に、かつて主役を演じ…

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