「石器」の時代から「土器」の時代へ。1万年以上前に列島規模で起こった旧石器、縄文両時代の新旧交代劇は、明治維新のようにダイナミックな激変をともなっていたのか、それとも――。長崎県佐世保市の福井洞窟に行けばわかると聞いて、本土西端の地に飛んだ。
洞窟遺跡にあまりなじみはないけれど、先史時代には意外と多いらしい。そういえば、遠くで山が火を噴き、毛皮をまとう原始人の一家が炉の火を囲んでマンモスの肉を食べている。そんな漫画の一コマの舞台も、確か洞窟の中だったような。
「実際、方角次第で日当たりがよければ湿気も少なく、雨風もしのげる。洞窟は思いのほか快適だったのかもしれませんね」。「洞窟遺跡日本一のまち」を標榜(ひょうぼう)する佐世保市文化財課の柳田裕三さん(46)は言う。
市内に30カ所を超える洞窟遺跡のなかでも、ご自慢が福井洞窟だ。旧石器時代の最後を飾る細石刃(さいせきじん)と縄文文化の幕開けを告げる最初期の土器が同じ地層に共存し、両時代がオーバーラップする例として知られる。縄文研究を牽引(けんいん)してきた小林達雄・国学院大名誉教授も「旧石器時代の出口から縄文時代の入り口、土器の出現までが教科書さながらに見られる」と絶賛する、全国でもまれな遺跡なのだ。
人類の歴史が重層
JR佐世保駅から車で30分ほど。険しい山あいに、福井洞窟はぽっかり口を開けていた。
間口16メートル余、高さ4・7メートル、奥行き5・5メートル。その足元には深さ6メートルの岩盤まで、1万9千年前から1万年前に至る人類の歴史が重層する。
敗戦の混乱からようやく抜け出そうとしていたころ、郷土史家が拾った土器や石器が考古学者の目にとまった。日本人の起源に関心が集まっていた風潮に乗り、日本考古学協会や地元自治体は1960年代、3度にわたって発掘を実施。その結果、二つの時代の移行を連続的に物語ることが判明し、当時縄文時代の開始時期をめぐって繰り広げられていた「本ノ木論争」にも大きな影響を与えた。
2008年。市町村合併を機…