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1945年に米兵が硫黄島から持ち帰った寄せ書きの入った日の丸。70年以上の時を経て、遺族の元に戻った=菅藤琢也さん提供
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 太平洋戦争末期の1945年、日米が激戦を繰り広げた硫黄島から、米兵が持ち帰った日本兵の日の丸の寄せ書きが、70年以上の時を経て首都圏に住む遺族の元に戻った。遺族は返還を通じて初めて、「出征した伯父」が、どこで戦い、どこで亡くなったのかを知った。返還を仲介したのは、米軍三沢基地(青森県三沢市)の日本人男性従業員だ。「私の使命はまだ終わってない」と話す。

 返還のきっかけは2015年4月、米軍三沢基地の施設中隊消防本部で消防士として働く日本人従業員の菅藤(かんとう)琢也さんに、三沢基地から米本土のワイオミング州ワーレン空軍基地に転勤した元同僚のダニエル・モアさんから写真付きのメッセージが届いたことからだった。

 「Hey buddy. A fire fighter friend of mine has this flag and was wondering what it said. Could you please help me by translating it? Domo!」

 日本語にするとこんな意味になる。「あのさ、消防士の同僚がこんな旗を持っているんだけど、なんて書いてあるんだろう? 悪いけど翻訳してくれないかな? どーも!」

 菅藤さんは添付された写真を一目見て、出征時に兵士に贈られる日の丸の寄せ書きであることがわかった。

「わかるだろう、では米国人には伝わらない」粘り強く交渉

 墨で書かれた文字は鮮明で、地名などは見あたらなかったが、誰宛てのものかはすぐに読み取れた。「原啓治」さんだ。すぐに返信した。

 「ダニエル、これは大変なものだ。日本では昔、出征するときにこういう寄せ書きを贈って出征者の無事を祈ったんだ」

 旗の持ち主は、ダニエルさん…

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