夏から秋にかけて打たれた囲碁名人戦七番勝負は、挑戦者の一力遼棋聖が芝野虎丸名人を4勝2敗で破り、初の名人位に就いた。日本囲碁界で突出している両者の激突から、2024年屈指の名局が生まれた。その第2局を現地で観戦した脚本家の加藤正人さんが、見たまま感じたままを観戦記にしたためた。対局直後に掲載した観戦記に加筆増補した拡大版をお届けする。
宮崎市から西に40キロ、高千穂峰の麓(ふもと)に高原(たかはる)町がある。ここは、天孫降臨伝説が語り継がれる神話の里である。今年の9月4日と5日にかけて、高原町の奥霧島温泉郷「極楽温泉 匠の宿」で第49期囲碁名人戦七番勝負第2局が打たれた。幸運にも私は、その対局を観戦する機会をちょうだいし、この地を訪れた。
加藤正人
かとう・まさと 脚本家。大の囲碁ファンで、草彅剛主演の映画「碁盤斬り」(2024年公開)では対局シーンをふんだんに盛り込んだ。代表作に「クライマーズ・ハイ」「ふしぎな岬の物語」「雪に願うこと」「孤高のメス」「天地明察」(共同脚本含む)。
芝野虎丸名人に挑戦するのは一力遼棋聖だ。芝野は第1局で敗れ、対一力7連敗を喫したものの、2日後の王座戦挑戦者決定戦で見事に雪辱を果たした。その3日後には天元戦挑戦者決定戦も制し、立て続けにタイトル挑戦権を獲得するという快挙を成し遂げた。
対局前日、両対局者へのインタビューが行われた。
棋聖、天元、本因坊の三冠を保持する一力は、タイトルを獲得するたびに風格が備わってきた。ストレッチや水泳も始めたというから、心技体ともに充実しているのだろう。碁を打つのが楽しくてしょうがないというオーラのようなものが感じられた。
受けて立つ芝野は、ここで負けては名人戦の流れが一気に傾いてしまうという危機感を抱いているように見受けられた。この一番は何が何でも勝ちきって、初戦負けの嫌な空気を払拭(ふっしょく)しなければならないという静かな闘志が感じられた。
翌朝、芝野の黒番で第2局が始まった。
虎丸と名前こそ猛々(たけだけ)しいが、芝野は音を立てずに石をそっと置く。その手つきや柔らかいまなざしから、神経の繊細さが伝わってくる。
対する一力は、慎重に手を読みながら石を置いてゆく。手どころでは細かく時間を使って読む。膝(ひざ)に置いた両手を組んで盤面をにらむ。小刻みに上体が揺れている。組んだ腕を解いて再び手を膝に戻し、読みを再確認するかのようにほんの少しだけ上体をかがめるようにして石を置く。
午前中はすらすらと手が進んだ。石が置かれるたびに局面が大きく変化していることは私のような素人目にも分かった。静かに置かれる石だが、深い読みが入っているので重量感があり、威容を四方に放っているように思えた。
87手目まで打たれたところで昼食休憩に入った。
ここまでは両者互角、勝負の行方はまったく分からなかった。
ヒリヒリとする神聖な空間
昼食休憩が終わり午後の対局…