福島県の飯舘村に3年前、横浜市から1人の女性が移住してきた。台湾で5年間、芸能活動をした経験を持つ峯岸ちひろさん(33)。台湾との相互交流を進める株式会社「サクラ・シスターズ」を設立し、台湾人のダンスユニット「福島もも娘」をプロデュースして福島をPRする。原発事故からの復興途上にある地域をどんな形で後押ししているのか。話を聞いた。
夢をかなえた、夢に向かう、夢を与える……。そんな東北にゆかりある人たちの活躍を、ロングインタビューでお届けします。
台湾の次世代が福島の生活を語る「大きな意味」
――台湾と福島。この二つをつなぐきっかけは何だったのですか。
高校の修学旅行で初めて台湾に行って、ぴかぴかに光る「夜市」に驚きました。親日の方が多くて、台湾に興味を持ちました。大学に入ってからはグラビアなど芸能活動をしていました。当時は女優になりたくて。その後、休学して5年近く、台湾でCMやテレビ出演など芸能活動をしたり、鉄板焼き店の経営にも携わらせていただいたりしてきました。SNSでの情報発信も続け、いろんな人とのつながりができ、台湾のアイドルとも知り合いました。日本に戻った2021年、福島で台湾との交流を進める「福島前進団」の方々と知り合い、10月にその通訳として初めて福島に来ました。
――なぜ飯舘村に移住されたのですか。
前進団の一員として、東京電力福島第一原発の事故の影響が大きかった福島の浜通り地方を初めて回り、除染土を集めた黒い袋が目に入りました。原発事故から10年がたっても、屋外に置かれていることにびっくりして、この地域を何とかしたいと強く思いました。高齢化や過疎化で人口流出が続いているのは地方共通の課題ですが、浜通りは震災と原発事故の課題が続いていました。ここから情報発信することは意味があることだと感じました。自分に何ができるのか。そう考えた時、浜通りで起業して、台湾と結びつける事業をしたいと思いました。
その数カ月後、今度は飯舘村…