豊臣秀吉が戦国武将・十河存保に送った書状=京都市の古書籍商宮帯書店所蔵

 豊臣秀吉が1584年、阿波・讃岐の戦国武将、十河存保(まさやす)に救援を約束した書状が発見された。京都市の古書店が所蔵し、徳島市立徳島城博物館学芸員の森脇崇文さん(43)が、書状は原本の可能性が高いと確認した。秀吉と十河の同盟関係の強さが分かる貴重な史料という。

 書状は1584年6月16日付で縦約28センチ、横約43センチ。森脇さんによると、文字の特徴などから秀吉の祐筆(ゆうひつ)(書記)が書いたものとみられるが、秀吉直筆とみられる花押が残る。

 書状では「すぐに兵糧の米500石とともに、備前の宇喜多氏や、水軍の武将たちを引き連れさせ、淡路島の仙石秀久をそちらに派遣します」と記している。土佐の長宗我部元親の軍勢に攻められ、十河城(現高松市)に籠城(ろうじょう)していた十河が、重臣の東村政定を派遣し、救援を要請したことへの返信とみられ、早期の派遣を約束した内容だ。

 書状ではほかに「いよいよ…

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