ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからもうすぐ3年が経つ。終わりの見えない戦いに多くの人々の関心が薄れているのを感じつつ、ロシアにルーツがあり、幼少期をロシアで過ごした記者は「当事者意識」にさいなまれながら取材を続けている。
2022年2月24日。ロシアのプーチン大統領が侵攻開始を宣言したとき、私は大学生だった。高校生の頃から「プーチンは独裁者だ」と考えていて、いつかこうなるんじゃないかとも感じていた。
祖母は「プーチン大統領はタフな男」
茨城県の自宅の近所には、プーチン大統領を支持するウクライナ人が住んでいた。週末にバーベキューをしたり、年越しパーティーをしたりする仲だったのに、侵攻後は政治の話題になるたびに言い合いになり、徐々に溝が広がった。
ロシアに住む祖母とも関係が悪化した。祖母は「混乱のソ連時代から大国をまとめあげたタフな男」とプーチン大統領をたたえていた。
夏休みにロシアに帰省すると、街には「短期契約・高収入」と兵を募るポスターが貼られ、叔父は「いっちょ稼ぎに行こうかな」と言う。もはやわかりあうことは不可能なんじゃないかとさえ考えるようになった。何が正しいのか、迷うことも増えた。
24年春、記者になって横浜総局に赴任し、ウクライナから避難してきた人たちの取材を重ねている。そこで知ったのは、目も当てられないような現実だった。
「攻撃のなか、赤ちゃんを抱えて走った」
戦闘機による攻撃のなか、赤ちゃんをかかえてシェルターまで走った人。スーパーが攻撃され、遺体を見た人。息子がいつ戦場に送られるかおびえて過ごしている人。話を聞きながら、私はいたたまれない思いがした。
侵攻が長期化して避難者が故郷に帰れない状況が続き、横浜市は就職をサポートするなど「自立支援」にかじを切っている。
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でも、目の前にいる避難者たちが故郷に帰れないのはロシアによる侵攻のせいだ。「どんな経緯で日本に?」「これからどうなって欲しいですか?」――。ロシアにルーツがある私にそんなことを聞く資格はあるのか。
12月15日、横浜市西区の横浜国際協力センターでは、ウクライナ避難者によるクリスマス会が開かれていた。
約70人が手作りのきらびやかな衣装に身を包み、歌い、踊り、劇を披露した。段ボールで作ったスポーツカーまで登場した。
子どもたちはお菓子が詰まった袋を手に走り回り、歓声を上げていた。
不安な日々の中のつかの間の楽しい時間だったのかもしれない。
年末になり、街はイルミネーションに彩られている。でも、家族から引き離され、異国の地で年を越す人がいることを忘れず、新年を迎えたい。