喬木村に移住して傘の職人になった水谷槙さん=2024年11月26日、遠藤和希撮影

 12月、アルプスの頂は白い。

 長野県南部の喬木(たかぎ)村にある木造2階建ての古民家の一室に赤、青、紫といった鮮やかな色の傘が並ぶ。水谷槙(まき)さん(41)が手がけたものだ。

長野県喬木村の位置

 この地で暮らす前は、東京にある大手IT企業の系列会社でシステムエンジニア(SE)をしていた。プログラミングの仕事は細かい作業が得意な自分の性に合っていると感じていた。それだけに、勤続10年が過ぎた頃、管理職を打診された時は戸惑った。

 職場の人間関係での悩みもあった。夜、一人暮らしのアパートは車のライトに照らされ、騒音や排ガスのにおいが気になった。冬のある日、ぎゅうぎゅうに押し込まれた満員電車の窓に、憂鬱(ゆううつ)そうな自分の顔が映っていた。

 「東京は住むところなのかな」

システムエンジニアになるための研修を受けていた頃の水谷槙さん=2007年7月、東京都、本人提供

 子どもの頃、千葉県の田舎町で氷霜(ひょうそう)を踏んで遊んだ。美術史を学んでいた大学時代、旅先の欧州で古い建築物や装飾品を大事にする文化に触れた。そんな記憶のせいか、地方で伝統工芸に関わりたいと思うようになった。

  • マキタスポーツさんに聞く「移住」の心得 東京と村の行き来を1年半
  • 「プロ」が説く移住成功の秘訣 お試しと譲歩、「でも東京風はNG」

迷わずに退職、伝統傘の世界に

 同僚に慰留されたが、会社を…

共有
Exit mobile version