石川県輪島市の北、約50キロ沖に浮かぶ舳倉(へぐら)島は、昨年1月の能登半島地震で被災し、住む人がいなくなった。7月30日、1年7カ月ぶりに運航を再開した定期船に乗り込み、地震と津波の傷痕が残る島に、地震後初めて朝日新聞記者が渡った。
午前9時に輪島港を出発して1時間余り。中央に白い灯台が立つ平らな島が見えてきた。周囲約5キロ、標高12メートル余りの舳倉島だ。
乗船した定期船は「希海(のぞみ)」(定員93人)。地震前は1日1往復していたが、当面は週1往復、島民や復旧作業員だけを運ぶ。この日は、島民や道路復旧の調査に当たる市職員、報道関係者ら50人が乗り込んだ。
約30分後、上陸してまず目についたのが、舳倉島漁港近くに積み上げられた大量の災害ごみ。扇風機、テレビ、冷蔵庫……。地震や津波で壊れ、使えなくなったものだ。
島には地震前、約30世帯が暮らしており、輪島港近くの輪島市海士町にも家を持ち、行き来していた。地震後、島民たちは漁船で島に通って港内のがれきを片付けたが、大きなごみは島外に持ち出せなかった。
東に行くと、地震や津波で窓が割れたり壁がはがれたりしたままの住宅が、あちこちに残っている。島に2軒ある民宿のうちの1軒「つかさ」を営む大角しのぶさん(70)はこれまで、小さな漁船で時々訪れ、片付けをしてきたが、今回は定期船を使った。
津波の被害は免れたものの、停電で冷凍・冷蔵庫内の魚や釣りえさが腐り、断水のため海水で洗ったらさびてしまい、処分した。布団はすべてネズミにかじられ、使えなくなった。
電気と水は復旧しており、一気に作業したいが、強風や高波で頻繁に欠航し、年間の就航率が50%前後の定期船が、1週間後に来る保証はない。
診療所に常駐していた医師もいなくなり、体調を崩しても治療を受けられないため、日帰りするという。
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