「火の雨が降るように、あっという間に焼かれてしまった」
福岡大空襲の体験者らでつくる「語り継ぐ会」代表の高橋英人さん(87)は、80年前のあの日をそう振り返る。
1945年6月19日。米軍の爆撃機約220機が福岡市に飛来し、午後11時ごろから約2時間にわたり焼夷(しょうい)弾を投下した。市史によると、死者・行方不明者1146人で、負傷者1078人、1万2千戸以上が被害を受けたとされる。
高橋さんは当時7歳で国民学校2年生。現在の福岡市中央区荒戸の家でいつものように弟と寝たところだったという。
「急に警戒警報が鳴り出し、すぐに空襲警報に切り替わった」。自宅の床下にコンクリートで固められた8畳ほどの防空壕(ごう)に避難したが、次第に爆撃の音が大きくなった。「外の様子が気になって出たら、家の屋根が燃えていた」
戦後80年を迎え、激しい空襲の被害を受けた地域では、記憶の継承が課題となっています。体験者が減り続けるなか、国による補償の議論も宙に浮いたままです。記事後半では、空襲の研究者の分析も紹介しています。
- 幼心に刻まれた大空襲の記憶 母が言った「よく見ておきなさい」
近所の人と無我夢中で火を消…