3650人が死亡、1万人以上が重軽傷(直後の公式発表)を負った横浜大空襲から5月29日で80年。午前9時20分頃から始まった空襲では、1時間余りで44万個近い焼夷(しょうい)弾が落とされ、広範囲を焼き尽くした。戦後、産婦人科医となり東京都港区の愛育病院院長も務めた堀口貞夫さん(92)に、炎に追われて逃げ惑った1人だ。
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登校途中に空襲警報を受け、横浜市神奈川区の自宅に戻ったところで空襲に遭った。本牧地区の横浜第三中学校(現緑ケ丘高校)の1年生、12歳だった。
当時、産婦人科医だった父親の個人病院が自宅に近い青木橋付近にあった。爆撃で発生した火災が、横浜駅方面から木造家屋が並ぶ一帯に燃え広がったと記憶している。
「祖母と母と弟で、鉄筋コン…