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第五福竜丸の元料理長の長男、服部茂さん。写真の男性(左)は、病院で検査を受ける父・竹治さん=2024年11月26日午後3時13分、静岡県焼津市、滝沢貴大撮影
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 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に10日、ノーベル平和賞が授与された。被団協は、米国ビキニ環礁の水爆実験でマグロ漁船第五福竜丸が被曝(ばく)したことをきっかけに高まった原水爆禁止運動を背景に発足した。同船の元料理長を父にもつ服部茂さん(76)は、父から聞いた体験談を踏まえ、核の恐怖を語り継いでいる。

 ビキニ事件当時、茂さんは小学生。出航前の第五福竜丸に乗せてもらった思い出があるが、当時は何が起きたか分からなかった。父・竹治(たけじ)さんから事件について聞いたのは、40代を過ぎたころだった。竹治さんは高齢になっていた。意を決して焼津市の自宅で切り出した。「あのとき何があったか教えてほしい」

 1954年3月1日早朝。外は真っ暗な中、竹治さんが船内でみそ汁を作っていると、「日が出ているぞ」という大きな声がした。外に出ると、水平線に太陽のような真っ赤で大きな半月形の炎が見え、すぐに「ドーン」という地響きのような爆発音とともにキノコ雲が立ち上がった。そして、白い雪のような粉、「死の灰」が船に降り注いだという。

 乗組員全員が急性放射能症に…

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