つむぐ 被爆者・花房あさ子さん(95)、記者・花房吾早子(41)
私の顔を不審そうに見上げたかと思うと、にこっとした。
広島県坂町の特別養護老人ホームで暮らす花房あさ子さん(95)。私、花房吾早(あさ)子(41)が面会に訪れた。
「どうしておんなじ名前なの?」。あさ子さんはけらけら笑い転げた。
「あなたも原爆に遭われた?」
認知症を患って約10年。頭の中で、娘時代を生きているかのようだ。
広島・長崎への原爆投下から80年。全国の被爆者を記者が訪ね、思いや願いをともにつむぎます。
【動画】花房吾早子(あさこ)記者が被爆者の花房あさ子さんと対面した=上田潤撮影
80年前、広島市の比治山高等女学校3年生だった。学徒動員で、潜水艦に積む兵器に関する作業を担っていた。
1945年8月6日朝。作業着に着替えた後、窓の外がピカッと光ったのを最後に、意識を失った。誰かの呼ぶ声で我に返ると、建物の下敷きになっていた。
顔から血がぽたぽたと落ちる…