Smiley face

 警察署の安置室。久しぶりに対面した娘は冷たかった。

 まだ肌寒い2023年3月末。当時16歳。三つ年上の彼氏と一緒に亡くなったという。体には布がかけられていた。

 「現場に足跡は2人分しかなく、お嬢さんはツイッター(現X)で実況していたようだ」

 対応した警察官は浩三さん(42)にこう説明した。長女のあきこさんは定時制高校への進学を機に自宅を出ていき、一緒に暮らしていなかった。亡くなった理由を含めて意味がわからず、あきこさんの友人を訪ねた。

写真・図版
トー横の広場を見つめる浩三さん=2024年12月11日午後7時57分、東京・新宿、恵原弘太郎撮影

 「あきこさんはトー横キッズだった」

 友人の言葉に耳を疑った。東京・歌舞伎町にトー横と呼ばれる一角があるのは知っていた。

 自分たちには無縁の場所だと思っていた。家庭に複雑な事情を抱えた子どもが行く所だと。娘がそこに通っていたとは夢にも思わなかった。

 日本一の歓楽街といわれる歌舞伎町。家庭や学校で居場所を失った子どもたちは「トー横」に集い、頼る先を知らない女性らが金銭を求めて大久保公園に立つ。ここにたどり着いた人たちから眠らない街の現在地を探る。

歌舞伎町に通い始めた父

 3人姉妹の長女。妹たちの面倒見が良く、ダンスやゲームが好きな子だった。

 ただ、地元の関東地方の公立中学に進んでから、次第に不登校気味になった。

 「朝起きるのがつらい」と言い、思春期の子どもによく起こるという「起立性調節障害」だったと妻から聞いた。

 環境を変えようと、中学2年から不登校児を受け入れる別の中学へ転校させた。妻から聞いた話では、そこでは週2、3日登校していたという。

 でも、中学の卒業式の翌日、あきこさんは荷物をまとめ、「おばあちゃんの家に行ってくる」と言って出て行った。

 システムエンジニアだった自分は激務で、徹夜が当たり前だった。不登校になったときも、あきこさんの対応はすべて、同じシステムエンジニアの妻に任せていた。

 祖母宅に行って間もなく、あきこさんは一人暮らしを始めた。トー横にはそのころから通いはじめ、彼氏もそこで出会ったと友人に聞いた。

 なぜトー横に通うようになったのか。なぜ亡くなったのか。

 その理由が知りたくて、トー横に通い始めた。

「パキった子を助けていた」

 トー横で出会ったあきこさん…

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