「小泉八雲 朗読のしらべ」という会を続けてきました。もう17年になります。ギタリストの盟友、山本恭司の変幻自在なサウンドと、僕の朗読で八雲の作品世界の妙を表現してゆく趣向。故郷ゆかりの八雲は、松江出身の芸能者としては向き合わねばならない作家です。
思えば、一昨年の朗読が殊に心に残っています。その時の感慨は、ひとしおでした。というのも「怪談」をはじめとする八雲の作風から、「あの世とこの世」を意識することが、正直つらい時期だったのです。準備を進める段が近づき、ちょっとかんべんしてもらいたいなあ、と感じていました。
僕自身、まさに生と死のはざまに立たされた後でしたので。
3年前の5月、血液のがんの一種、多発性骨髄腫に侵されたことがわかりました。さらには入院中に敗血症になってしまい、これが地獄のようにつらかった。高熱が続き、意識がもうろうとなる。太ももを剣山で刺されるのにも似た痛みにも襲われました。
それらが2週間ほど続き、あまりのしんどさにあの世の入り口が見えた気がしました。早く楽にしてくれ、と心の中で叫んだこともありました。
2カ月かかり、ようやく退院できました。その年の年末に再入院し、抗がん剤による治療や自分の細胞を使う自家移植。それらが功を奏して、現在は、寛解状態になりました。今は仕事に復帰できています。ありがたいことです。
そんな険しい道のりを乗り越えた後だったものですから、一昨年秋のあの夜は特別でした。故郷に帰り、ずっと続けてきた朗読の会を、自分なりにやり通すことができた。ああ、これがほんとうの再出発だ、と手応えを感じたのです。
とはいえ、昨年7月にかけては、急性腎障害で緊急入院を余儀なくされました。やはり、抗がん剤治療のダメージも少なからずあったようです。これから先のお仕事には、支障がないよう細心の注意をもって臨まねばなりません。
早いもので来春には70歳になります。振り返れば、生まれた1955年は高度経済成長時代の幕開けの頃でした。大人になってゆく過程で、社会はあちらこちらへと揺れ動きました。
東京五輪に象徴される経済発…