「関西で大地震は起きない」
30年前まで、こんな思い込みが広がっていた。神話が崩れたのが、1995年1月17日に起きたマグニチュード(M)7.3の兵庫県南部地震、「阪神・淡路大震災」だった。
震度7の揺れにより、多数の建物が倒壊、火災が生じて、6434人の命が失われた。
「神戸で地震など起きないと思ってた」(42歳男性)
「台風対策はしてたが、まさか地震は…」(61歳女性)
「地震は関東より向こうの話と思うとった」(36歳男性)
地震直後、朝日新聞が神戸市の避難所で住民の声を集めた記事には、こんな戸惑いの言葉が並んでいる。
しかし、近畿地方が「活断層の巣」であることは専門家の間では常識だった。神戸の街の背後にそびえる六甲山地も、断層の活動で隆起を繰り返した結果だ。
それが、住民には伝わっていなかった。
「活断層」という言葉が社会に定着したのも、この震災からだ。震源断層のずれが淡路島に現れたことで、注目を集めた。
第一発見者は中田高・広島大名誉教授(82)。当時は広島大の助教授だった。
ほかの活断層研究者が神戸を目指すと聞いて、淡路島に向かうことにした。地震当日の夕方に車で出発、瀬戸大橋から四国経由で淡路島に入った。
未明、島の北端にたどり着くと、海岸沿いの道路で補修工事が始まっていた。「ここだな」。仮眠を取り、明るくなるのを待って付近を調べると、灯台に通じる階段が横方向に1メートル以上ずれ、食い違っていた。
震災前から、付近に野島断層と呼ばれる活断層が通っていることはわかっていた。「予想通りに出ていたので、『ああ動いているな』と納得した。すぐに電話で報告し、役場から地図の提供を受けて調査を続けました」。中田さんは当時をこう振り返る。
活断層は直下の浅い場所で大きな地震を起こすため、激しい揺れと被害をもたらす。その存在は、地形や地層に残された活動の痕跡を調べることでわかる。60年代後半ごろから研究が盛んになり、80年には全国地図が刊行されていた。
六甲山地沿いの神戸市の市街地には活断層が連なっていた。にもかかわらず、市の地震想定は震度5にとどまっていた。
その後、全国で活断層調査や地震想定の見直しが進められ、詳しい活断層地図を誰もが見られるようになった。
しかし、30年を経ても課題は残る。
「いまだに活断層の直上や間…