青い海に囲まれた島は桜が満開の見頃を迎え、黄色い菜の花が風に揺れていた。火山の島特有の黒い玄武岩を積んだ石垣がつらなり、馬を育む牧草地が広がる。
韓国の済州島(チェジュド)。沖縄本島の1・5倍ほどの広さの島は朝鮮半島の南西にあり、東シナ海、黄海、日本海につながる東アジアの海の要衝に位置する。
島の中央にそびえる漢拏山(ハルラサン)。白い雪が残る頂上付近をのぞむ中山間部に「済州4・3平和公園」という名の広大な公園がある。
階段状になった水路を澄んだ水がおり、「慰霊塔」が立つ人工池へと流れこんでいく。中心のくぼ地にある塔を取り囲むように、何万何千にも及ぶ人々の名前を刻んだ石碑が、円状にずらりと並んでいる。
今年4月1日、歌手の加藤登紀子さんは済州島を初めて訪れてこの公園に向かい、慰霊塔に手を合わせた。水路のわきの階段をのぼりながら何度も立ち止まり、水の音に耳を澄ませた。
「水がね、石段をおりていくたびに音をたてていくんです。本当に語りかけてくるような。その音が途中すごく大きくなる場所があるのね。すごく心に迫ります。語りかけてくる感じがする」
無念の死を強いられた犠牲者が、何かを語りかけてくるような思いがしたという。
◇
日本が植民地支配した朝鮮。1945年8月15日、日本の敗戦で解放を迎えたが、間もなく北緯38度を境にソ連軍と米国軍が分割占領した。米軍政下となった済州島では官憲の弾圧と朝鮮北部出身の右派組織の横暴が続いた。
48年4月3日、南朝鮮単独選挙が分断につながるとして左派の武装隊が蜂起すると、軍警が討伐にのり出す。韓国政府の樹立後、初代大統領の李承晩(イスンマン)は11月に戒厳令を宣布。軍警は「焦土化作戦」と称した容赦ない無差別殺戮(さつりく)を繰り返し、大勢の島民が犠牲になった。民衆蜂起の日をとって「済州4・3」と呼ばれる悲劇だ。
韓国の独裁軍事政権下で「アカ(共産主義者)の暴動」とみなされた4・3は、犠牲者の追悼さえ取り締まられた。民主化後、金大中(キムデジュン)政権下の2000年から政府機関による真相究明調査が始まり、03年に盧武鉉(ノムヒョン)大統領が「国家権力の過ち」と公式に謝罪した。4・3の実相を伝え、犠牲者を追悼する場として08年に「済州4・3平和公園」ができた。
◇
公園で目立つのがツバキの木だ。しおれると突然ぽとりと地面に落ちるツバキの花は済州島で、不意に命を絶たれた4・3の犠牲者の象徴とされている。島の人々と同じように登紀子さんはツバキの花のバッジを胸につけ、慰霊の祭壇に手を合わせた。
「戦後80年も経って初めて出会える。この4・3事件というのも数年前まで私は知らなかった。知らなかったというのがすごくショックでした。いちばん近い国で関わりが深いのに、知らないことがいっぱいあるということが残念で。私はできるだけ知っておきたいし、出あっておきたいし、日本の人にも伝えたい」
その前日、済州島へと向かう飛行機に搭乗する前、関西空港でそう記者に語った。
加藤登紀子さんの旅には、背中を押した出会いがありました。記事の後半で、済州島への旅を追った動画とともに紹介します。
登紀子さんは2年前の4月…