A-stories 日産の行方 危機再び①

日産自動車グローバル本社

 「日産の町」だった追浜は、この先、何の町になるのか――。

 神奈川県横須賀市の北端。東京湾にせり出した埋め立て地に、日産自動車の追浜工場はある。

 京急追浜駅前から追浜工場に向かって、500メートルものアーケードが続き、その下に商店が連なる。

 「追浜は日産とともに歩んできた町なんだよ」

 祖父の代から青果店を営む藤田雄二(63)が、スイカが入っていた段ボールを折りたたみながら語り始めた。

追浜の街で生まれ育った青果店主の藤田雄二さん。店頭には日産自動車硬式野球部のユニホームを飾っている=2025年8月8日、神奈川県横須賀市、中村建太撮影

 旧日本海軍の飛行場だった広大な土地にできた追浜工場が本格稼働を始めたのは1962(昭和37)年3月。高度経済成長期のまっただ中だった。

 それから遅れること数カ月、藤田はその年の夏に生を受けた。

 当時の日産のすべての工場を…

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