A-stories 田嶋陽子 わたしが生きたフェミニズム

 92歳まで生きる、って決めてるんだよね。長年おびえ続けてきた母に、ようやく物が言えるようになったのが46歳。そこから数えて、倍の92歳。どう?

 《83歳の現在も、読売テレビ「そこまで言って委員会NP」にレギュラー出演を続ける。月1回、大阪まで収録に向かう》

 朝8時に東京を出て、大阪で放送2回分をぶっ通しで収録。最終の新幹線で軽井沢の家まで日帰りすることもあります。

 初出演は、番組(前身の「たかじんのそこまで言って委員会」)が始まった2003年。今年で23年目になります。よくケンカしてた、やしきたかじんさん、三宅久之さん、勝谷誠彦さん、津川雅彦さん、桂ざこばさん……。みんな先に亡くなっちゃった。右派的、保守的な番組だといわれるけど、いまや私が一番の古株。

 「TVタックル」や「そこまで言って委員会」出演でおなじみ、英文学・女性学研究者の田嶋陽子さん。その半生を振り返る連載「わたしが生きたフェミニズム」、全4回の初回です(2025年2~3月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)。

 《1990年代、多数のメディア出演で女性差別への批判を展開。近年、若手世代を中心に「フェミニズムの先駆者」として「再評価」の機運が高まる》

 話を聞いてもらえず、悔しい思いを何度もしたし、「あんなものに出て」と女性学の研究者仲間からも白い目で見られた。でも、同僚だった日本文学研究者でフェミニストの駒尺喜美さんから「学者の本は売れたって2千部程度。でも視聴率が20%あれば2千万人が見てくれる」と励まされ、それを胸に、女性が二級市民の立場に置かれていると訴え続けてきました。

 再評価かあ。ありがたいねえ、まあ戸惑いもあるけれど。

 誰もが生まれながら持っているはずの、人間らしく生きたいという人権意識。それが長いこと、男社会の規範に抑圧されてきた。それを何とか男女平等にしたいと頑張ってきたけれど。人口の半分を占める女性の力をちゃんと生かさないと、日本はそのうち滅びるんじゃないかな?

戦時下の「おさかな事件」

 《1941年、岡山県で生まれた》

 母の初枝は新潟生まれ。父の功は造り酒屋で働いていました。私が生まれて半年後、父の仕事で家族で大陸に渡り、旧満州などで暮らしました。父が出征すると、母は内地の様子を見るため私と帰国。その後戻れなくなり、父の実家の静岡・御殿場に居候させてもらいました。

 ここで「おさかな事件」が起…

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