泉ピン子さん

 今はお芝居が仕事だけど、最初は漫談家だった。芸能活動はかれこれ60年になる。脚本家の橋田寿賀子先生、親友の西田敏行君……たくさんの出会いに恵まれて、私があるのよね。

 《18歳で芸能活動を始めて、20代で俳優に転身。現在は77歳になった》

 生まれは東京の、ど真ん中。浪曲師だった父は、「お前、銀座生まれだぞ。本籍が4丁目4番地だぞ」と、よく自慢げに言ってた。大人になってからの私はそう言われたら、「そこに土地を持ってたら、もっとよかったのになぁ」って返していたわ。

俳優・泉ピン子さんが半生を振り返る連載「泉ピン子 背筋をピンと伸ばして」。全4回の初回です(2024年3~4月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を加筆・再構成して配信しました)。

 継母だったのよね。両親は黙っていたけれど実は私、小学3年生の頃から何となく知ってた。近所のおばさんに「大人になったら何になりたい?」と聞かれて、「美容師」と話すと、「そうか。やっぱりお母さんと一緒か。血は争えないね」と返ってきたことがあったから。

 母は美容師じゃなかったから、「母とは血縁がないのだろう」とピンときてね。父に美容師志望と明かすと、猛反対された。「美容師じゃ食えない。他人の髪を触るのは不潔」なんてね。実母は芸者衆の髪結いで、花柳小菊さんという有名な俳優さんの専属だったと知ったのは、後のことだった。

 《高校入試直前に両親から正式に説明があった》

 願書と一緒に戸籍を提出しな…

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