優勝を決めて喜ぶ捕手の磯村嘉孝(右から3人目)や堂林翔太(同2人目)ら中京大中京の選手たち=2009年8月24日、阪神甲子園球場

第91回全国高校野球選手権大会 決勝

日本文理(新潟)

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中京大中京(愛知)

 「甲子園の魔物についての記事ですか。魔物……。強く感じたのは、やっぱりあの九回ですね」

 中京大中京(愛知)時代に春夏合わせて甲子園で計14試合に出場した磯村嘉孝(現・プロ野球広島)が即答したのが、この試合。2009年夏、第91回全国高校野球選手権大会の日本文理(新潟)との決勝だ。

 6点リードで迎えた九回の守備は2死走者無し。優勝まであと1死に迫っていた。だが、ここから悪夢のような時間が約19分も続いた。相手の1番切手孝太に四球を与えたのが始まりだった。

 適時二塁打、適時三塁打、死球。ここで投手が代わっても勢いを止められない。「本当にどうすればいいんだろうって。このあと、代打の打者に初球を打たれた。カーブは狙ってないだろうと思ってサインを出したら、バチンと打たれて。これは無理だなという程の感覚だった」

 救援した森本隼平と磯村は、先輩たちが「肝っ玉」と称した2年生コンビだった。3年生の堂林翔太(現・広島)が先発した決勝は、森本が六回途中から救援。九回は再び堂林が登板したが、与死球のあと森本が一塁から再び救援した。

 この時点で4点差。「優勝したら、俺ら2年生で抱き合えるな」。磯村はそう言った。

 「森本は強気な性格。『お前に任せたぞ』という意味も込めて、そういう言葉を選んだんだと思う」

 だが、相手の反撃は続く。四球で2死満塁。ここで相手先発の伊藤直輝が打席に入ると、球場全体に手拍子と伊藤コールがこだました。

 打球は三遊間を破った。「つないだ、つないだ。日本文理の夏はまだ終わらな~い!」。朝日放送のテレビ中継でも、実況がそう響いた。

 最後のアウトを取る難しさ。中京大中京は、その春の選抜大会でも味わっていた。報徳学園(兵庫)との準々決勝は5―4で九回2死満塁から逆転を許した。そのとき逆転打の打球を追った左翼手が磯村で、夏はミットを構える側にいた。

 「春は、相手が甲子園の地元校というのもあって応援はすごかった。でも、夏の九回は比べものにならなかった。中京のアルプス以外はすべて日本文理の応援だった。そして、どこに投げても打たれ、臭いところは見逃された。真ん中に構えて、守っているところに飛んでくれという感じで開き直るしかなかった」

 1点差まで詰め寄られ、なお2死一、三塁で痛烈なライナーが三塁方向へ飛んだ。「ちょうど右打者とかぶって打球が見えなかった。次の瞬間、サードの河合完治さんが手を挙げてマウンドに向かっていた。『ああ、捕ったんだ』って。安心というか、言葉に表せない気持ちでしたね」

 磯村は翌年も甲子園の土を踏んだ。2回戦の早稲田実(西東京)戦は6―21で敗れ、連覇の夢は途絶えた。その春に森本が故障するなどチーム力は万全ではなかった。「早実には力の差を感じた。でも、日本文理戦は目に見えない力で、何をしても止められなかった。魔物、雰囲気。のみ込まれていった感じだった」

 あの九回を耐えた経験が、その後の人生でプラスになったと言う。「崖っぷちを経験した。あれほど追い込まれて緊張する場面はそうない。そういう意味でも、ピンチでも冷静でいられるようになった。図太くなれましたね」と笑う。

 高校からドラフト5位で入った広島では、レギュラー獲得とはいかないが、控え捕手としての信頼は厚い。今年でプロ15年目になる。坂倉将吾ら、いい後輩捕手もたくさん出てきたが「1年でも長く選手としてやれるように、懸命にやっていく。もがいて、やりきる日々を過ごしていきたい」。

 「崖っぷち」を経験した粘り強さを、まだまだ生かす。

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