つむぐ 被爆者3564人アンケート 土屋義弘さん(85)・文昭さん(80)

 振り子が揺れると、「チクタク、チクタク」と針がすすむ音がする。長針が真上を指すと「ボーン、ボーン」と音が響く。茶色の木枠は黒みを帯び、傷がついている。

【動画】広島で被爆した柱時計=小林一茂撮影

 京都市で健康製品販売会社を経営する土屋義弘さん(85)は80年前の原爆投下時、広島市の自宅にあった柱時計を大切に保管している。今もぜんまいを巻けば動く。「親の形見のようなもんですから」。弟の文昭さん(80)も黙ってうなずいた。

 文字板に刻まれた製造元を頼りに記者がセイコーグループ広報部に写真を送って尋ねた。針の形状や鍵穴の位置、前扉のデザインなどからセイコーウオッチの前身の精工舎製で、昭和4(1929)年~昭和13(38)年頃に販売された掛け時計「スリゲル十六號(ごう)」とみられるという。

 誕生から約90年になる時計。あの日の朝も時を刻み、父の出勤を見送ったはずだ。

 1945年8月6日朝、義弘さんは中国山地の山あいにある広島県都谷(つだに)村(現北広島町)の祖父母宅に兄と疎開していた。庭先から山の向こうに巨大な雲がもくもくと立ちのぼるのが見えた。「ドーン」という音も響いてきた。当時5歳。キノコ雲の下に両親や弟がいるなんて想像できなかった。

 父敬之(たかゆき)さんが勤務先の広島逓信局へ出かけた後、広島市南三篠町(当時)の木造平屋の家には、母のフミ子さんと生後10カ月の文昭さんがいた。

 母の生前の手記によると、母は玄関先で文昭さんに手を振らせて父の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。その後、洗濯を始めたが、文昭さんが大泣きするので抱き上げ、廊下に出た。その時だった。

 〈『シューッ』と光ったと同…

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