1983年8月19日、甲子園は白かった。バックネット裏、内野席、アルプス席、外野席、通路という通路に、白いシャツ、白い帽子、白いタオルが幾重にも折り重なり、真っ白に輝いていた。
徹夜組が800人いた。午前6時8分の開門時には、4千人が列をなした。その42分後に入場券が売り切れた。超満員の5万8千人が目にやきつけようとしたのは、第65回大会・準々決勝第1試合の池田(徳島)―中京(愛知、現・中京大中京)。テレビやラジオや新聞は、こう呼んだ。
事実上の決勝。
- 横浜高校はプロ養成所じゃない あの敗戦後に行った「大人の改革」
「実はね、仲が良かったんですよ。池田の選手とは」
世間の熱を軽くいなすかのように、野中徹博は懐かしそうにほほえむ。1年生の秋から中京のエース。140キロを優に超える直球を誇り、大会随一の好投手だった。
高校野球の長い歴史で、春・夏・春、または夏・春・夏の3季連続で優勝したチームはない。池田は「やまびこ打線」と恐れられた圧倒的な打力で82年の夏を制し、83年春も選抜大会の頂点に立った。
エースで4番の水野雄仁に、3番のキャプテン江上光治ら、力のある選手がそろう。この夏も、開会式で返したばかりの深紅の大優勝旗を再び手にするまで、あと3勝と迫っていた。
対する中京は、史上唯一の夏3連覇や史上2校目の春夏連覇など、高校野球史を彩ってきた強豪中の強豪だ。野中を擁して、82年の春、夏はともに甲子園で4強。実績、実力からも池田の3季連続優勝を止める1番手と目されていた。
勝ったほうが、全国制覇をするに違いない。高校野球ファンの興奮をよそに野中は、池田との対戦をまちわびていた。
「2年生のとき、池田の選手と一緒に韓国との親善試合のメンバーに選ばれたんです。特に水野とは仲良くなって、よく電話してたんですね。『最近どう?』って」
さらに、池田の蔦文也監督が自分のことをどのように見ているのかを知った。
「『うちを抑えるとしたら、野中君だろう』っておっしゃっていたというのを聞いてね。そんなふうに思っていてくれたのか、と」
午前8時、プレーボール。池田の先頭打者に中前安打を許す。次打者への初球は、バントのファウル。果敢に飛び込んで捕球しようとした野中のユニホームは、試合開始から6球目で真っ黒になった。
池田の打者は、野中の力のある直球にも食らいついてくる。毎回のように走者を出しながらも、二回に許した1点で踏みとどまっていた。中京も、水野のシュートに手を焼きながら、五回に1点を返す。
「攻守交代のとき、水野とボールを渡し合うんです。うなずきあったりしてね」
少しでも気を緩めれば、やまびこ打線にのみ込まれてしまう。そんな緊迫した状況ですら、野中はどこか楽しんでいた。
「生つばのみ込んで緊張、って感じでもなかったんですよね。観衆も気にならないです。視界に入ってこないというか」
そして試合は、終盤を迎える。
九回表、先頭をピッチャーゴロに打ちとった後だった。7番打者に、カーブ、カーブ、カーブと投げて、すべてボール。この試合、初めてボールが三つ続いた。
直球でストライク。またカーブでストライク。フルカウントとなり、一呼吸置いて、6球目に選んだのは直球だった。意図せず、外角高めに行った。
「ちょうど、腕を伸ばせば(バットが)届くところだったんですよね。芯でとらえられましたからね。ファウルかな、ファウルになれ、って思ったんだけど、打った瞬間の金属音がね」
野中は左翼方向に視線を送ると、マウンドにしゃがみ込んだ。打球はポール際に消えた。
「大会の後、水野に言われたんですよ。あいつ、あそこしか打てないんだよ。カーブ投げとけば、くるっと(バットが)回ったのにって」
その後、野中は波瀾(はらん)万丈の人生を送る。いや、たった4文字ではとても表現できないほどの、流転の連続だった。
ドラフト1位でプロ入りしたが、6年で戦力外通告を受けた。ラーメン屋、広告会社と職を転々とした。草野球で投げていたら、138キロが出た。知人の紹介で台湾のプロ野球へ。15勝を挙げると、日本のプロ野球が再び注目する。中日の入団テストを受け、復帰。97年にはヤクルトに移り、初勝利を挙げた。プロでの通算成績は2勝5敗。
「僕は、プロでたいした成績を収められなかった。本当は、甲子園を励みにステップアップできればよかったんだろうけど、落ちていってしまったから」
この5月で60歳になった。あのとき、なぜ直球を投げたのか。カーブでよかったのではないか。迷ったのか。迷わなかったのか。それが、魔物と呼ばれるものだったのか。時を経ても、答えは出ない。
ただ、池田との試合は特別だった。投じた125球のすべてが、かけがえのない瞬間だった。
「有終の美を飾れず、プロでも活躍できなかったから、余計にね。余計に、あの甲子園がね。あの夏がね」
あの1球が、たとえ魔物に魅入られた1球だったとしても、無心で投げた1時間46分は、いまも記憶のなかでまばゆい光を放っている。
第65回全国高校野球選手権大会 準々決勝
池田(徳島)
010000002|3
000010000|1
中京(愛知)