ひめゆりの塔(左上)の前には、ひめゆり学徒隊らが犠牲になった伊原第三外科壕跡(中央)がある=2025年6月26日、沖縄県糸満市、ドローンで小宮路勝撮影

 沖縄の梅雨明けから1カ月が経ち、焼けつくような日差しが降り注ぐ沖縄県糸満市。ひめゆりの塔とその前にある伊原第三外科壕(ごう)跡に向かい、石川県から来た女子生徒らが祈りを捧げていた。田鶴浜高校(同県七尾市)では、命と平和の尊さを学ぶため、修学旅行のコースに選んでいる。

 伊原第三外科壕跡は、沖縄でガマとよばれる自然洞窟で、深さ約14メートル。太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍に看護要員として動員された「ひめゆり学徒隊」として知られる沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちの一部が避難し、その多くが犠牲となった、沖縄戦の象徴的な場所の一つだ。

ひめゆりの塔の前にある伊原第三外科壕跡の前で、祈りを捧げる生徒たち=2025年6月26日、沖縄県糸満市、小宮路勝撮影

 1953年に公開された映画「ひめゆりの塔」などでも多くの人の関心を集めた。6月23日の「沖縄慰霊の日」には、石破茂首相が慰霊に訪れた。

 壕のそばには、生き残った元学徒らによって89年に、ひめゆり平和祈念資料館が建てられ、戦争の記憶をいまに伝えている。昨年度は、修学旅行などで県内外から約1400校が来館。入館者数は、観光客も含めると40万人を超えたという。

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 普天間朝佳(ちょうけい)館長(65)は「平和学習の重要な拠点。訪れた生徒らに戦争の悲惨さと平和について伝える努力を続けている」。今年3月には、これまでの日本語、英語の説明文以外に、英語や中国語など5カ国語の音声ガイドも導入。外国人観光客にも理解を深めてもらい、国際的な発信力を高めたいという。

ひめゆりの塔の近くに建てられたひめゆり平和祈念資料館。ひめゆり学徒隊らの歴史を伝えている=2025年6月27日、沖縄県糸満市、小宮路勝撮影

 同資料館で流され、今も慰霊祭などで歌われている歌がある。「別れの曲(うた)」。ひめゆりの生徒らが卒業式で歌うはずだった歌だ。生徒らは卒業式が戦場で行われ、歌うことはかなわなかった。

 戦後80年となる今年の「沖縄慰霊の日」に、沖縄を拠点に活動するバンド「MONGOL800」のキヨサク(上江洌清作(うえずきよさく))さんらが、「別れの曲」を若い世代に歌い継ぎたいと、「詩い継ぐ沖縄慰霊の日プロジェクト」(https://623.okinawa/)を立ち上げた。キヨサクさんとシンガー・ソングライターの沢知恵さんが「別れの曲」を歌い、配信されている。

伊原第三外科壕跡とひめゆりの塔=2025年6月26日、沖縄県糸満市、ドローンで小宮路勝撮影

 微笑みて 吾等おくらん

 すぎし日の 思い出秘めし

 澄みまさる 明るきまみよ

 すこやかに 幸多かれと

 幸多かれと

(別れの曲の歌詞から)

 普天間館長は「ここは沖縄戦の歴史と記憶に出会う場所」。若い人たちの関心が平和に向かうことを願っている。

【動画】沖縄県糸満市の伊原第三外科壕跡とひめゆりの塔=小宮路勝、溝脇正撮影

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