鹿島海軍航空隊跡の本庁舎。建物の上部をツタが覆っていた=2025年7月22日午前、茨城県美浦村、ドローンで関田航撮影

 コンクリートの無機質な灰色の壁は、緑色のツタに覆われ、屋上には草が茂っていた。茨城県美浦村の霞ケ浦の湖畔。ここに、かつて旧日本海軍の飛行練習生たちが訓練した「鹿島海軍航空隊」があった。

 日本で2番目に大きな湖である霞ケ浦の沿岸には、太平洋戦争当時、複数の海軍基地があった。鹿島海軍航空隊は、霞ケ浦海軍航空隊の水上部隊を移転する形で、1938年12月に開隊した。両翼の下にフロートがついた水上機の訓練がしやすいよう、東側と南側が湖岸に接する地形を利用した。部隊では、水上機の操縦員や偵察員を育てるための訓練が行われていた。

【動画】緑に覆われた鹿島海軍航空隊跡=関田航撮影

 施設は終戦後、東京医科歯科大の分院として、長く使われた。コンクリート製の本庁舎は診療所など、木造の兵舎は病室として活用された。97年、老朽化や患者数の減少などを理由に閉院となった。

 村は2013年、16年と2回に分けて、国から土地を購入。当初は更地にし、オートキャンプ場などのレジャー施設をつくる計画だったが、戦争遺跡を残したいとの声を受け、21年に方針を変更。本庁舎、汽缶場(ボイラー室)、自力発電所などを残し、一帯を大山湖畔公園として整備した。23年7月から一般公開されている。

 村企画財政課の大竹裕幸課長(54)は「長く廃虚となり、心霊スポットとして有名になってしまっていた。これからは平和教育の拠点として活用し、村民が気軽に立ち寄れる場所にしていきたい」と期待する。

「この場所に関心あること示す」聖地巡礼ツアーなど企画

 村に施設を残すことを提言したのは、町づくり会社「プロジェクト茨城」の金沢大介代表(54)だ。同社は、同公園の指定管理を委託されている。

 13年から同県笠間市にある筑波海軍航空隊跡の保存活動をしていた金沢さんは、県内外の戦跡を調べる中で、鹿島海軍航空隊跡を更地にする計画を知った。

 同社では、県のフィルムコミ…

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