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第100回全国高校野球選手権記念大会2回戦

星稜(石川)

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済美(愛媛)

 逆転、満塁、サヨナラ――。100年以上続く高校野球の歴史で、たった1本の本塁打が生まれたのは、2018年の第100回全国高校野球選手権記念大会だった。

 8月12日、済美(愛媛)の矢野功一郎(25)は、奥川恭伸(現ヤクルト)らを擁する星稜(石川)との2回戦に「1番・二塁手」で先発した。

 七回まで1―7と先行されたが、済美は八回に打者一巡の猛攻で9―7と逆転した。しかし、九回に追いつかれると、延長タイブレークになった十三回表に2点を取られ、9―11とリードされた。

 4万2千人の歓声が、試合が進むにつれてどんどん大きくなった。矢野は純粋に楽しんでいた。

 「練習が本当に厳しかった。それを乗り越えて迎えた最後の大会だったから、ベンチのみんなが同じ思いだった。『試合を楽しもうよ』『2点差くらいならいけるぞ』とマイナスな声は全然なかった」

 無死一、二塁から始まった裏の攻撃。先頭の9番政吉完哉がバント安打を決めて満塁になった。矢野は「つないでくれると信頼していた。外野に飛ばすのが最低限の仕事だ」と打席に入った。

写真・図版
星稜―済美 延長十三回裏済美無死満塁、矢野はサヨナラ満塁本塁打を放つ。投手寺沢(11)、捕手山瀬=2018年8月12日午後4時38分、阪神甲子園球場、奥田泰也撮影

 スライダーが4球続いて、次の直球をファウルにした。カウントは1ボール2ストライク。またスライダーを投げてくると思った。内角低めに沈む、その変化球をすくった。打球が右翼ポールの右側に流れていくのが見えた。

 「ファウルだ」。そう思って、走るのをやめかけた。そのときだった。

 再び顔を上げると、放物線が異様な動きをした。右翼から左翼方向に浜風が吹く上空で、打球がグラウンド方向へと押し戻される。右翼ポールに当たった。

 球場が地響きのように揺れた。一塁を回り、矢野も思わずさけんだ。「うそやろ!?」。これが公式戦初本塁打だった。

 仲間からは「まさか、お前が打つとは」と祝福された。矢野は「運を拾おう」と、普段からグラウンドや学校で落ちているゴミを見つけると、「ヒット1本」とつぶやきながら拾うくせがついていた。まさか劇的な一発につながるとは思わなかった。当時の取材では「神様が打たせてくれた」と答えた。

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延長十三回裏済美無死満塁、サヨナラ満塁本塁打を放った矢野(右)は生還し、三塁走者徳永(16)、二塁走者武田(17)と喜ぶ=2018年8月12日午後4時38分、阪神甲子園球場、水野義則撮影

 「甲子園の魔物がいるなら、観客だと思います。大観衆の後押しがなければ、自分があんなドラマの中心にいることなんてなかった」

 7年後の今、矢野はあの一本をこんな言葉で振り返る。「良くも悪くも、人生を変えた一本だった」と。

 進学した環太平洋大でも野球を続けたが、「あの本塁打の矢野じゃない?」「甲子園の矢野や」。どの球場でも、そんな相手チームや観客の声が聞こえてきた。結果が出ないとき、それが大きな雑音に感じた。

 「期待に沿うパフォーマンスをしなければいけない、と変な背伸びをしようとした。でも能力がないから結果は出ない」。そして、「挫折してしまった」。大学で野球の第一線から退くことを決めた。

 卒業後、地元の愛媛朝日テレビに就職した。現在、営業担当として働く。メディア業界に興味を持ったのは、たびたび取材を受けた経験からだった。初めて訪れる仕事先で名刺を渡すと、「あの矢野さん?」と気づく人もいる。

 「自分も発信する側に回りたいと思えたんです。人脈がすごく広がったし、話題もふくらむ。今の仕事にすごく生きている」

 年末になると、関西や地元で当時の仲間と集まって酒を酌み交わす。話題になるのは練習中のハプニングだったり、小さなけんかだったり……。

 「あの本塁打が話題に挙がることはあまりないんです。何でなのか、部活のときのたわいもない話ばかりで盛り上がっていますね」

 劇的な一本で悲喜こもごもを味わった。でも振り返れば、仲間と過ごした3年間の方が、ずっと濃かった。

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