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表きよさんの自宅。家の前にあった側道やブロック塀が崩れ、きよさんが巻き込まれた=2024年3月2日、石川県輪島市打越町、佐藤道隆撮影
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 周りに落ち葉一つなく、「いつ見てもきれいやね」と近所の人に褒められた山すその実家は、真下の地盤まで崩れ、建て直すこともできなくなった。あれから半年。ようやく解体を申請できた表幸正さん(76)=金沢市=は、葉が一つでもあれば拾っていた母、きよさん(当時97)を思った。

 281人が亡くなった能登半島地震の発生から7月1日で半年。あの人は、もういない。けれど、残してくれた記憶や思いは、消えることなく継がれていく。

 実家は、石川県輪島市打越町の山あいの集落にある。25年前に亡くなった父は、山林で生計を立てていた。稼ぎを求めて街に出る人も多かったが、父は炭焼きや山を守るための植樹を続けた。

 父の死後も、きよさんは家から離れようとはしなかった。「おやじらの山や家を放っておけなかったのかもしれん」と幸正さんは思う。

 月の半分ほどは石川県穴水町の娘の家で過ごしたが、もう半分は金沢市から通う幸正さんと実家で過ごした。幸正さんが山で木を切っていると登ってくるほど、95歳を超えてもきよさんの足腰は丈夫だった。

 元日も2人で実家にいた。玄…

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