つむぐ 被爆者3564人アンケート 稲木孝子さん(94)

 今夏、長崎の被爆後の惨状を描写した1本の映画が公開される。被爆者の救護活動に取り組んだ日本赤十字社の看護学生たちによる手記を原案にした「長崎―閃光(せんこう)の影で―」だ。3人の若い看護学生を軸に、被爆者や救護者らの心身の苦しみが描かれる。

『長崎―閃光の影で―」から©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会

 京都府宇治市に暮らす稲木孝子さん(94)は80年前の夏、映画のモデルと同じように、日赤の看護学生として瀕死(ひんし)の被爆者らを救護する現場にいた。「今も忘れられません」

 戦争末期、長崎県立島原高等女学校から志願して日赤大阪の看護学校に進んだが、空襲被害で長崎県島原市の実家に戻って待機をしていた。14歳だった。

 1945年8月9日、警戒警報が解除されて人々が防空壕(ごう)を出ると、普賢岳の上空を飛ぶB29の機影が見えた。間もなく山の向こうが光り、空が赤みがかった色に変わった。

 しばらくして長崎の惨状が島原にも伝わり、人々は「長崎は全滅や」と口にしていた。日赤長崎県支部から赤紙の召集令状が稲木さんに届いた。近所の人たちの「万歳」に見送られ、紺の制服に赤十字の腕章を巻いて長崎へ向かった。

 列車は長崎の外れまでしか行…

共有
Exit mobile version