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帝京の監督だった前田三夫=1995年撮影

 弱小だった帝京高校は前田三夫の熱心な指導と、全国レベルの強豪校との練習試合でめきめきと力をつけていった。選手を集めるために学校を回るようにもなった。多い時で年間300校。しかも自転車で。遠くに行くときはおにぎりを持っていった。

就任7年目で甲子園初出場するも

 監督就任から7年目の1978年。前田の思いは結実する。春の選抜大会で念願の甲子園初出場を果たした。

 ただ、悔しい思いもした。甲子園の初陣、小倉(福岡)に完封負けした。

 前田の挑戦は、ここでは終わらない。2年後、80年春の選抜、再び甲子園に戻ると、大学時代から特別な思いがあった大阪の代表、北陽(現・関大北陽)と初戦で対戦。接戦を制し、甲子園で初勝利を挙げた。2回戦で上尾(埼玉)、準々決勝で秋田商、準決勝で丸亀商(香川、現・丸亀城西)をいずれも僅差(きんさ)で破り決勝に上り詰めた。

 帝京のエース、伊東昭光(のちにプロ野球・ヤクルト)と高知商の中西清起(のちにプロ野球・阪神)との息詰まる投手戦となった決勝。延長十回、0―1でサヨナラ負けした。優勝は逃したものの、甲子園には帝京旋風が吹き荒れ、帝京の名は一気に全国区になった。帝京は東の横綱。そう評されるようにもなった。手応えと、周囲の評価。前田も自信を深めた。

 そんな前田の自信をずたずた…

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