【連載】命と教訓 JR宝塚線脱線事故20年
JR史上、最悪の惨事となったJR宝塚線脱線事故から25日で20年になる。妻を奪った事故の原因を追究し続けた男性は「命の代償として、教訓を社会に根付かせてほしい」と願う。遺族やJR西関係者への取材、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の報告書などに基づき、事故はなぜ起きたのか、教訓は生かされているのかを追った。
107人が死亡、562人が負傷した2005年のJR宝塚(福知山線)線脱線事故で、浅野弥三一(83)は妻の陽子(当時62)を亡くした。妻の幻影を見て「帰ってこいよ」とつぶやき、「崖の上から身を投げたら楽になる」とすら考えた。
「運転士がめちゃくちゃな暴走」
苦しみの中にいる被害者からは、加害企業のJR西日本が組織防衛に傾いているように見えた。
「1人の若い運転士がめちゃくちゃな暴走をして事故が起きた。『会社や、他の社員は悪くない』というところで社内が固まっていた」。JR西の元幹部は当時の社内の雰囲気をこう話す。同社は事故直後には原因として「置き石の可能性」を示唆し、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調、現・運輸安全委員会)に否定される。事故調の意見聴取会では、事故後に指摘された同社の組織的な問題点に、のきなみ反論。浅野ら遺族が求めた同社独自の検証も、事故調の調査が進んでいることを理由に拒んだ。
そうした中、事故の2年後に出た事故調の報告書も、浅野には、事故を引き起こした同社の組織的な問題への分析が不十分に感じられた。
「亡くなった家族に事故原因…