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 ◇第75回全国選手権(1993年)2回戦

 久慈商(岩手)310020100 7

 徳島商(徳島)000000071 8

 31年前、久慈商(岩手)のエースだった宇部秀人(48)は、あのシーンを映像などで見返したことはないという。

 「息子たちは見たようですけれど。私はね。やっぱ悔しいじゃないですか」。やがてその試合を収めたビデオテープは、かびて再生不能になった。

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サヨナラ負けを喫し、徳島商の校歌をベンチ前で聞く久慈商の選手たち

 岩手県北東部にある久慈市は、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台として有名になった。

 少年野球が盛んな土地だが、同市からの夏の甲子園出場となると、第61回大会(1979年)の久慈と第75回(93年)の久慈商の2度しかない。

 93年8月、細川護熙連立内閣が成立し、自民党の55年体制に終止符がうたれた。今では死語になりつつある冷夏の年。15日、久慈商は第2試合で徳島商と初戦を戦った。試合中に終戦記念日の黙禱(もくとう)があった小雨の降る日だった。

 徳島商のエースは川上憲伸。のちにプロ野球中日と大リーグ・ブレーブスで通算125勝をあげる右腕だ。

 甲子園でも評判の高かった川上から久慈商打線は一回、守備の乱れに乗じて3点を先取。二、五、七回に加点する理想的な展開で7―0とリードした。

 宇部は、左腕から繰り出す直球とスライダーを軸に、走者を出しながら要所を締めた。八回、先頭打者を遊ゴロに打ち取り、勝利まであとアウト五つに迫っていた。

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力投する久慈商の宇部=1993年8月15日、阪神甲子園球場

 宇部は当時を振り返って「勝てる、という気持ちは全然なかったですね」と言う。七回まで116球。岩手大会6試合を1人で投げ抜いた左肩は三回くらいからどんどん重くなっていった。

 捕手で主将の鹿糠(かぬか)幸司(49)は「変化球が抜けていた。伝統校を相手に試合がうまいこと行き過ぎているなあ、という感じでした」と話す。鹿糠には徳島商の打者の「ぎらぎらした目」が今でも印象に残っている。まだ諦めていないぞ、と。

 大逆転は「魔」というより「…

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