3年ぶりに開いたフェイスブックは、熱の入った投稿であふれていた。
軍縮の講座に参加し「しっかり勉強します!」、小学校で原爆に関する出前講座を開き「もっと、引き出したい、もっと共有したい」――。
「この時の自分から今の自分の姿は、想像できなかった」。光岡華子さん(28)はそう言って、学生時代を振り返った。
佐賀県嬉野市で生まれ育った。両親も父方の祖父母も、小学校教員。同じ道をめざし、2歳上の姉が通う長崎大教育学部に進んだが、違和感があった。周りの学生と比べ、自分は教員に向いていないのでは。「子どもへの愛情、熱量が違う」。採用選考試験の準備に身が入らなかった。
情熱が向かう先は、平和についてだった。
「長大の教育に入ったからに…