【連載】証言 アウシュビッツ解放80年(2)
反ユダヤ主義が高まる中、アウシュビッツ強制収容所の生存者たちは、差別と憎しみの再来に心を痛めています。一方で、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃に対する批判も認識し、複雑な思いで見つめています。
ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の中心的な現場となったポーランドのアウシュビッツ強制収容所の解放から80年。戦後ユダヤ人が建国したイスラエルは、パレスチナ自治区ガザでの攻撃をめぐって「ジェノサイド(集団殺害)」だとして国際人権団体などから批判を受ける。イスラエルで暮らすホロコーストの生存者らは複雑な思いを抱えながらガザの状況を見つめている。
11歳の時にアウシュビッツ強制収容所に入れられ、戦後イスラエルに家族と移住したナフタリ・フュルストさん(92)は、「ホロコーストの体験の中で一番恐ろしい記憶」として、「死の行進」と呼ばれる強制移動を振り返る。ナチスは1945年1月の解放直前、大虐殺の証拠隠滅のためにガス室を爆破するなどした後、収容所のユダヤ人たちをドイツへ連れ出した。
「進め、進め」「遅れたら殺すぞ」――。ナチスの親衛隊(SS)の隊員たちが、フュルストさんらが歩く列のわきで叫んでいた。その声が今も耳に残る。両親と1歳上の兄ペテルさんとともにアウシュビッツに連行された後、2人の兄弟だけ少し離れた別の施設に移され、そこから強制移動に参加させられた。
- 「世界は僕たちが死ぬのを見ていただけ」 ガザ侵攻1年
道路脇にあふれるうめき声 「前だけ向いて歩いた」
100人ほどの大人に混じっ…