メキシコ市中心部のレフォルマ地区にある環状交差点。壁には多くの行方不明者の顔写真が貼られている=2024年5月18日、軽部理人撮影

 約900万人が住む、世界有数の大都市メキシコ市。独立記念塔がある中心部レフォルマ地区には、在外公館や外資系企業が入る高層ビルが立ち並ぶ。

 その近くの環状交差点には、異様な光景が広がる。交差点の中心を囲むようにして立つ高さ3メートル弱の円形の壁に老若男女様々な顔写真が貼られている。全部で200枚ほどだろうか。

 「シンシア・ガルシア 2021年8月14日 ヌエボレオン州」

 「フェリペ・ロサス 2014年9月26日 ゲレロ州」

 写真にはその人の氏名とともに、こう書かれている。

 “Desaparecido”(行方不明)

 日付や自治体名は、行方不明になった時の情報だ。国内の行方不明者数は約10万人で、ほとんどが麻薬組織に誘拐されたとみられている。メキシコの首都の一角に貼られた写真は、不明者のごく一部でしかない。

写真・図版
行方不明者の顔写真が貼られたメキシコ市中心部のレフォルマ地区には、高層ビルが立ち並ぶ=2024年5月18日、軽部理人撮影

地元警察、何度問い合わせても「捜査中」

 「今も時々、兄の優しい笑顔を思い出す。でも、すでに死んでいる可能性もあるのだと悲しくなる。その繰り返しです」

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 メキシコ市に住むホルヘ・ベラステギさん(33)は、そう語る。

 兄アントニオさんとその息子のアントニオ・ジュニアさんが北部コアウイラ州で行方不明になったのは、09年1月24日のことだ。土曜の夜8時ごろ、10キロ離れた場所に親子で食事に出かけたまま、帰宅することはなかった。

 家業の食料品店や牧場を管理していたアントニオさんは12人兄弟の長男で、末っ子のホルヘさんとは30歳以上、年が離れていた。面倒見がよく、野球を愛した一家の大黒柱だった。

 ホルヘさんらは捜索願を地元警察に出した。だが何年経っても、音沙汰がない。問い合わせても「捜査中」の一点張りだった。

 「行方不明者の数は膨大で、事件を担当する当局の人数が足りていなかったこともあるだろう。だがそもそも、捜査をしているのかすらも、怪しかった」。ホルヘさんはこう振り返る。

10万人もの行方不明者を抱えるメキシコは、なぜこれほどまでに治安が悪化したのか。記事後半では、メキシコがたどってきた経緯や、各地で見つかる集団墓地について記しています。

 ホルヘさんらは、自ら「捜査」を始めた。親子が行方不明になった当日の足跡をたどり、聞き込みをした。

 ある日、匿名の人物から情報…

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