【連載】音を翼に~佐治薫子とジュニアオーケストラ(2)
海外公演もこなすほどのレベルの高さで、全国的に知られるジュニアオーケストラがある。千葉県少年少女オーケストラ。1996年の創設時から音楽監督を務めてきた佐治薫子さん(88)は、もともと公立小中学校の音楽教師。「ひとつの音に心をこめる」という指導理念を貫き、約40年の教員生活で、千葉県全体の子供たちの演奏レベルを全国トップクラスにまで引き上げた。
音楽はほぼ独学で、専門教育は受けたことがない。オーケストラの楽器を持ったこともない。それなのに、どうやって多くの指揮者たちを感嘆させるほどの実力へと子供たちを育てあげることができたのか。
新しい学校に赴任するたび、佐治さんが真っ先にやったのは音楽室の大掃除だった。
床はぬか雑巾で拭き、ピカピカに。ピアノにはお手製のレースカバー。そして毎日、きれいな花を生けておく。音のある場所は、気持ちのいい場所。そんなイメージで、まずは子供たちの心を音楽室へと引き寄せる。
「美しい環境と美しい音。これにひとたび触れたら、喜んで、おのずと時間を忘れて練習に熱中するようになる。音楽に対するポジティブな意識を育て、最終的にはいかに生きていくかを自ら考えさせるのが私の使命だと思っています」
1935年、千葉県木更津市生まれ。幼い頃、三つ上の長女が病で亡くなった。両親とも教師だったが、母は子供を犠牲にしたと己を責め、退職。家計が厳しく、佐治さんは東京・中野の叔母宅に預けられた。
その家の娘が、音楽学校に通っていた。ピアノを弾く彼女のひざに乗り、自分もポンポンと鍵盤をたたく。そんな至福の時間が、音楽を愛する人生へと佐治さんを導いた。
中学校に入ると、音楽の先生が日曜に無償でピアノを教えてくれた。音楽をやる人は、みんな優しかった。音楽に関してはすてきな記憶しか残っていない。
千葉大教育学部の音楽科を経て、君津市立松丘中に赴任する。山の中腹の田舎の学校で、往復4時間かけて通勤した。
ある日、教頭に声をかけられた。県内の各校の教師が集う、とある研究会での催しで、ハーモニカで素晴らしい合奏をした学校があったのだという。
「うちでもやれないかな」
- 山田和樹が衝撃を受けたジュニアオケ 指導者が話した音へのこだわり
千葉県少年少女オーケストラの音楽監督を務め、同オケを全国トップレベルに導いてきた佐治薫子さん(88)。どんなことを大切にしながら、音楽を通して子供たちと向き合ってきたのか、取材しました。
合唱の授業のたびに「ウルサ…