アウンサンスーチーさんが1995年に解放され、当時の田島高志・駐ミャンマー大使が面会する際、私も同席しました。スーチーさんから、日本大使館と定期的にコンタクトを取りたいということになって、私が1、2週間に1回くらい会うことになりました。
昨年9月まで駐ミャンマー大使を務めた丸山市郎さんが、通算27年におよぶミャンマー駐在で見てきた出来事を振り返ります。同国軍はスーチーさんの解放後も、常に行動を監視し、スーチーさんの言論・政治活動に圧力をかけていました。
- 【前回はこちら】外務省入省、「無理だ」と思ったビルマ語 志望した覚えはなかった
彼女はとても厳しい人で、政府の途上国援助(ODA)再開に反対していました。「何でそこまでやるのか」「いいからやめなさい」と言っていました。
日本の国会議員や大臣がスーチーさんに会いに来ても、彼女は一切メモを取らないのです。それでも「あなたが話した1点目は、2点目は、3点目は」とすべて覚えています。
相手が誰であろうと手加減し…