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インタビューに答える古賀誠・元自民党幹事長=2025年8月5日午後1時3分、東京・虎ノ門、相場郁朗撮影
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 自民党で幹事長を務めた古賀誠氏(85)は、太平洋戦争中にフィリピン・レイテ島で父が戦死した。「戦争は理屈に収まらない出来事。歴史を深掘りして考えてほしい」と語る。戦争を知らない世代の歴史認識に、危機感も抱いている。

真っ赤に燃える空

 ――戦時中の記憶は。

 終戦時は5歳だった。その3年前、2歳の時に父は出征した。うちは乾物を扱う商店だったが、赤紙で召集され、私にぬくもりの一つも残さないまま逝ってしまった。

 幼かったから、戦争を「知る」世代というよりも、肌にすり込まれたという感覚だ。家には掘っただけの簡単な防空壕(ぼうくうごう)があって、空襲があると、そこに母と入る。遠くの空が真っ赤に燃えていた光景は覚えている。

 住んでいた福岡の瀬高町(現・みやま市)は、当時軍需産業が盛んだった大牟田市から10キロ足らず。真っ赤に燃えていたのは、大牟田の空襲だったと後からわかった。

戦後80年の今年、戦前生まれの現職国会議員は1%になりました。戦争を経験した政治家たちが次世代に伝えたいこととは何でしょうか。その証言を聞きます。

  • 【連載1回目はこちら】「戦争しなければ」を作らない、それが政治家の仕事 福田康夫元首相

母は私と姉を育てるために行商に出た

 ――終戦や父親の戦死はどうやって知ったか。

 ある日、大勢の人たちが町の…

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