女優として駆け出しの頃に出会ったのが、同い年の西田(敏行)君だった。
《1976年のTBS「いごこち満点」で出会って以降、共演を重ねた》
仕事だけじゃないの。新婚時代に奥さんの寿子さんを紹介されて、私の結婚前には交際中だった夫を「この人、どう?」と会わせたくらいの親友なの。
私の夫は医師で、西田君とも仲良くなった。晩年は西田君から「昨日、憲重さん(夫)に点滴打ってもらって。ありがとうな」と言われて、2人が会ったと知ることも。寿子さんも「何度も自宅に来てもらった」って言ってた。私は全然知らなくて。聞いたら夫は「医者には守秘義務があるんだ」って。元々私の親友なのに(笑い)。
俳優・泉ピン子さんが半生を振り返る連載「泉ピン子 背筋をピンと伸ばして」。全4回の2回目です(2024年3~4月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を加筆・再構成して配信しました)。
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《家族ぐるみでの思い出話もたくさんある》
私はあんまり覚えてないんだけどさ、夫によると昔、私たち夫婦4人で彼のオープンカーに乗ったことがあるんだって。それで六本木を通ると、たくさんの人に囲まれた。西田君はサービス精神が旺盛で手を振ってたようで。夫は「君と彼に気づいた大勢の人に囲まれて本当に恥ずかしかった」って苦笑してたわよ。
西田君は「死んだら大勢の人が来てくれるお別れ会を」と言ってた。でも、私は葬儀にも行かなかった。彼はまだ私の心で生きているし、笑顔が思い出せなくなるから。太地喜和子(92年に自動車事故で他界)の葬儀で精神的につらくて、親しい人の葬儀は懲りたの。
でも先日、西田君の家に行っ…