つむぐ 被爆者3564人アンケート 豊敦子さん(84)
神奈川県海老名市の豊敦子さん(84)は4歳の時に長崎で被爆した。肉親を失い、40代で高校に通い、平和を願い――。その人生は芝居となり、語り継がれる。
1945年8月9日。爆心地から約3.6キロの自宅の縁側で、姉妹と遊んでいたときだった。「B29が来たぞー!」。母の叫び声に、裏庭にある防空壕(ごう)へ急いで逃げ込んだ。
しばらくして外へ出ると、街は火の海だった。あたりは薄暗く、燃えかすが舞っていた。近所のおじさんが背中をやけどして、防火用水をかぶっていたのをはっきりと覚えている。
家にいた家族はみな一命を取り留めたが、爆心地から1キロほどの三菱造船所に勤めていた父は夜遅くになっても帰らなかった。翌日、母が生後3カ月の妹を背負って父を捜しに出かけ、3日目に父と戻ってきた。父は爆風で建物の下敷きになったが、自力で抜け出して、田んぼの水を飲んで生き延びていたという。
目立ったけがもなく、家族で…