Smiley face
写真・図版
山岡芳子さんの家族の位牌。8人の戒名が入っていた=2024年4月8日、静岡県長泉町、大久保真紀撮影

 「あがーよー、あがーよー(痛いよー、痛いよー)」

 母の顔は、もう思い出せない。ただ、3歳のときに聞いた最期の叫びだけが、ずっと耳を離れない。

 山岡芳子さん(83)は、沖縄県首里市(現・那覇市)でお菓子屋を営む家の長女に生まれた。祖父母と両親、きょうだい4人の8人家族。裕福な暮らしをしていた。1945年4月に米軍が沖縄本島に上陸した沖縄戦で人生が一変した。

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 首里には、日本軍守備隊の司令部があった。のちに「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の苛烈(かれつ)な砲爆撃が繰り返され、山岡さんの家も吹き飛ばされた。

 一家は防空壕(ごう)、墓、自然壕と場所を変えながら避難した。日本兵から「ここは軍が使う」と壕を追い出され、砲弾が飛び交う中を逃げ惑った。

 6月12日、移動中に4歳の兄と1歳の妹を抱いていた母に砲弾が直撃した。兄と妹は即死。お尻が半分なくなり、おなかが黒く空洞になっていたのを覚えている。

死体を踏んだときの足の感覚

 母は右足を引きちぎられ、悲…

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