幼いころの4姉妹=五女の柳川たづ江さん提供

 学校から帰宅すると、家財道具にベタベタと赤紙が貼られていた。

 愛知県北名古屋市に住む日比野裕子さん(75)が小学生のころのことだ。父の営むひな人形製造店が破産した。

 父は、アジア・太平洋戦争で亡くなった戦友たちを悼む13回忌慰霊祭を開くために奔走し、金を使い果たしたらしい。

 戦友を一番に考える父だった。何かあれば、仕事を放り出して飛んで行く。4人姉妹を連れて家族旅行に行っても、当日の朝には戦友とその家族が現れた。子ども心に怒りがこみ上げた。

 極めつけは、24歳のときの結婚式。2次会の会場に行くと、父の戦友がずらりと並んでいた。裕子さんは翌日寝込んだ。

 父・日比野勝広さんは1923年生まれ。19歳で陸軍に入隊し、独立歩兵第23大隊第4中隊に編入されて中国戦線で1年半戦った。サイパンが陥落して「本土決戦」が避けられなくなった44年8月、沖縄に投入された。

 45年4月1日、米軍は沖縄本島中部の西海岸に上陸。海を埋め尽くした敵艦は、のちに「鉄の暴風」を言われる激烈な艦砲射撃を繰り返した。

 父は、壮絶な戦場の記憶を手記に残していた。

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