ノーベル平和賞に選ばれた日本被団協。授賞式が12月10日にノルウェーのオスロであります。核兵器の非人道性を訴えてきた長年の証言活動が認められました。運動に大きな足跡を残した5人の被爆者たちの半生をたどります。
「今日はね、ふたり分の被爆体験のお話をします」
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞の受賞が決まった10月、岐阜県の高校と長崎をオンラインでつなぎ、長野靖男さん(81)がパソコンの画面越しに高校生たちに語りかけた。
自身も2歳のとき爆心地から5キロで被爆している。だが、講話で語ったのは、ある被爆した女性の生涯だった。
「平和運動の先駆者です」
写真や音声を流しながら紹介したのは、車いすに乗って原爆被害の悲惨さを訴えた語り部、渡辺千恵子さん(1928~93年、64歳で死去)。その活動から「原爆乙女」と呼ばれた。
「小学校の頃は、かけっこが得意で、大好きなシュークリームを買って食べるのが楽しみ。幸せな少女時代を送っていたんですね」と長野さん。
だが、1945年8月9日、16歳だった渡辺さんは爆心地から約3キロの学徒動員先の工場で被爆。鉄骨の下敷きになり、脊椎(せきつい)が折れ、寝たきりの生活となった。
終戦から10年になる年、出歩けない渡辺さんの自宅に、被爆した女性たちが集まり、悩みや将来について語り合うようになる。
失われた青春、取り戻す
長崎の被爆者組織の先駆けと…