つむぐ 被爆者・匿名の女性(95)、記者・興野優平(33)

 そのアンケートを書いた女性(95)は「原爆に遭(お)うたことが恥ずかしい」と何度も言った。

 被爆者アンケートで、広島県内から返ってきた一通。自由記述欄に「肩のケロイドがいまものこっている」とあった。「片目の視力もなく頭の中にはいまも、金属片がのこっている」とも。

 私(33)は広島で勤務して3年近くになる。原爆の被害は決して過去のものではない、と頭ではわかっているつもりだった。だが、80年前の被害をいまもなおその身体に宿した人が、私たちの隣で日常生活を送っている事実に衝撃を受けた。

 女性は匿名を条件に取材に応じた。

家族にも話してこなかった被爆体験を語る女性=2025年6月26日、広島県内、上田潤撮影

 被爆したのは15歳の時。銃器を作る工場に住み込みで働いていた。8月6日の朝は、広島市内で建物を取り壊す作業に動員される当番が回ってきていた。市内へ向かって、工場勤務の同僚たちと肩を並べて歩いていた。

 空を飛行機が通り過ぎた。B29だ、と思った瞬間、手で顔をおおい、その場に伏せた。光も、音も記憶にはない。頭を上げると、市中心部方面に大きな火の手が上がっていた。「これは大火事じゃ。逃げにゃいけん」。一緒に歩いてきていた友達はどこへ散ったのか、誰も見当たらなかった。

 いったい何が起きたのか、行…

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