連載「1995年からの現在知」
インターネットが1995年の「新語・流行語大賞」トップテンに選ばれたころ、ネットには幻想があった。いつでもどこでもだれでも世界中に向けて情報を発信できて、自由闊達(かったつ)な議論を生みだし、創造力を拡張し、真に民主的な世界を実現するのだ、と。
ウィンドウズ95と共に、令和のいまにつながるネット社会の幕を開いたインターネットだが、現在の姿はかつて思い描いた理想郷にはほど遠いようにみえる。ネットでの発信を続けてきたジャーナリストの津田大介さんに、この30年を振り返ってもらった。
30年前、戦後半世紀の節目の年に阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件といった未曽有の出来事が相次ぎました。1995年を起点として私たちの社会や文化の変容を考えます。
――津田さんといえば、ツイッター(現・X)ですね。記者会見やイベントの現場から実況中継するかのようにツイートし、「tsudaる」という流行語が生まれました。旗振り役のようになっていた津田さんが、現在のネット、とりわけSNSの現状について、どう見ているのか、改めてうかがいにきました
僕が愛したインターネットは、30年でこんなになってしまったのかという思いはあります。
インターネットって国境を取り払ったのがいいところだったけれど、いまインターネットのガバナンスを考えるうえで、国境を設けた方がよくないかといった議論がなされるようになりました。
中国がなぜあんなに発展したのかといえば、国境を設けたからですよね。グーグルなどを拒否した結果、自国のネット企業が育ち、世界ではばたいている。ヨーロッパもGDPR(EU域内における個人データの保護に関する規則)でビッグテック(大手IT企業)に対して厳しい網をかけました。
――16歳未満の子どものSNS利用を禁止するという最近オーストラリアで可決した法律もそうですね
もちろん人々の知る権利や表現の自由を考えると、微妙なところもあります。あるんだけど、ビッグテックの倫理のなさ、社会的な負の影響をふまえると、やむを得ない段階になってきている。世界的に危機的状況にある民主主義を維持するコストを大幅に上げてしまったのが、ソーシャルメディア中心のネットだと思います。
コストを誰が支払うのかというと、全世界のその国の市民ですよね、っていう話になる。
――世界中のいろんな人とつながって、熟議を重ねるインターネットなんて、もはや夢物語なのでしょうか。ところでXはまだ使い続けますか
ブルースカイ(ツイッターの…