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サンパウロ州東部アンシエッタ島にある監獄に収監されていた日本人のグループ。1946年ごろの写真とみられる
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 世界最大の日系社会があるブラジル。第2次世界大戦中や戦後に日系社会が迫害されたことについて、25日に開かれた政府の恩赦委員会が、公式に謝罪を表明した。謝罪の意義やブラジルの当時の社会情勢などについて、識者2人に聞いた。

ブラジル在住のジャーナリスト深沢正雪さん

 ――日系移民への迫害について、ブラジルでは非日系人はもちろん、日系人ですらほとんど知りません。なぜですか。

 迫害を受けた当事者が、積極的に語ってこなかったことが理由の一つです。戦後の日系社会は、恥ずかしい歴史を抱えていると思い込んでいました。1946年に起きた「勝ち負け抗争」です。太平洋戦争で勝ったと思い込んだ「勝ち組」と、敗戦を認めた「負け組」が抗争を繰り広げ、20人超が死亡しました。

 抗争が激化した過程で大勢の勝ち組が無実の罪で収監されました。監獄では拷問もありました。しかし、それらの根本的な原因は勝ち負け抗争だったため、当事者らは「負の歴史」を語り継いでこなかったのです。

 ――43年にサンパウロ州南部サントスで6500人の日本人が強制退去させられた事件は、日本人が一方的な被害者です。それでも声を上げられなかったのですか。

 85年までの21年間にわたって軍事政権だったこと、抗争で勝ち組を大量検挙した政治警察が残存していたことも大きい。よほど勇気がないと声を上げられません。

  • 【連載初回はこちら】「踏め」と命じられた昭和天皇の写真、移民たちは拒否し収監された

 私は、サントス事件が勝ち負…

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