自宅で写真に納まるグエン・ドクさん(左端)一家。分離手術を支援した日本への感謝を込め、長男に「フジ(フーシー)」、長女に「サクラ(アインダオ)」と名付けた=2025年3月8日、ホーチミン、大部俊哉撮影

 かつて激戦の地となったベトナム南部ホーチミンの街はめざましい復興を遂げた。

 ベトナム戦争が終わり、50年。高層ビルが立ち並び、その間を都市鉄道が走り抜ける。足元では、狭い路地に住宅がひしめく。

 「来てくれてありがとうございます」。3月、グエン・ドクさん(44)がきれいな発音の日本語で出迎えてくれた。

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 日越の橋渡しをする活動をしており、日本語の勉強を続けている。

 ドクさんは戦後6年たった1981年に中部コントゥム省で、米軍が散布した枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児として生まれた。

子どものころのドクさん(左)とベトさん=1986年6月19日、ホーチミン

 兄のベトさんと体がつながったまま幼少期を過ごし、88年にホーチミンで日本の医療チームの支援で分離手術を受けた。ベトさんは手術前に患った脳症の影響で、2007年に亡くなった。

 今は病院事務と非営利団体の代表として働きながら、妻と双子の子ども2人とともに暮らす。

 分離手術の成功後も、ドクさんは病とともに生きてきた。

分離手術から37年。記事後半では、ドクさんが今持つ願いと、新たな挑戦を紹介します。

 腎臓などに異常が見つかり…

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