つむぐ 被爆者3564人アンケート 斎藤寿美子さん(93)
「赤ちゃんは諦めた方がいい」
斎藤寿美子さん(93)は1968(昭和43)年、医師にそう告げられた。
アジア太平洋戦争が終わって23年後、日本の国民総生産(GNP)が米国に次ぐ世界第2位となった年のことだ。
このとき斎藤さんは30代半ば。待望の第1子を妊娠中に、急性肝炎を発症した。きつい投薬治療を続けると胎児が危険になり、投薬しなければ母体が危うくなるというのが医師の判断だった。迷った末に出産を諦めた。
「子どもを1人ぐらい育てたかった。でも、これも運ですね」
斎藤さんはこの夏、高知市内の高齢者施設を訪ねた記者にそう語った。
【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート
- 【詳報】被爆80年、アンケートに託された3564人の思い
45(昭和20)年8月9日午前11時2分。長崎市立高等女学校2年生だった斎藤さんは登校中、北西の山の上で何かがピカッと光るのを見た。
直後に「ドーン」という轟音(ごうおん)が響いた。とっさに、目の前にいた近所の女の子を抱えて防空壕(ごう)に飛び込んだ。
しばらくして外に出ると、風…