つむぐ 被爆者3564人アンケート 水木愛子さん(102)

 今年3月、102歳の誕生日を迎えた。広島と東京で過ごした青春時代は、いつも戦争の記憶がつきまとう。

 東京都目黒区の介護付き施設に暮らす水木愛子さん。耳が遠くなり、会話するときは相手にホワイトボードに質問を書いてもらってやりとりしている。

耳が遠くなってきたため、ホワイトボードを使って会話する=2025年8月16日午後4時1分、東京都目黒区、魚住あかり撮影

 8月中旬、施設を訪れた記者が「1945年8月6日の朝のことを教えてください」とボードに書くと、すぐにあの日のことを語り出した。

 当時は22歳。広島市庚午北町(現・広島市西区)にある実家で家事手伝いをしていた。県立広島第一高等女学校を卒業後、いったんは都内の洋裁学校に通った。日本のファッションデザイナーの先駆者として知られる伊東茂平氏が主宰していた学校で、本格的な洋裁が学べると期待していたが、戦争の激化で閉鎖。広島に戻らざるを得なかった。

 原爆が炸裂(さくれつ)した午前8時15分は、爆心地から約3キロの自宅で朝食を取っていた。その瞬間、視界が赤く染まった。「近所に爆弾が落ちたのかもしれない」。思わず立ち上がると同時に爆音が響き、家の中の何もかもが吹き飛んだ。

【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート

原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。

 自身や家族にけがはなかった…

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