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「戦争が憎い」と語る新藤智子さん(左)。戦争を二度と起こさせないために、と夫・康雄さんととも集会などに参加し、体験を語り始めている=東京都中央区、大久保真紀撮影

 狂気に満ちた父の目。思い出すと、千葉県在住の新藤智子さん(71)はいまも動悸(どうき)が激しくなる。

 酒に酔って斧(おの)を手にした父に追いかけられ、逃げ込んだ自室の引き戸に斧を振り下ろされた。必死でドアを押さえて顔を上げると、戸にできた裂け目から爛々(らんらん)とした父の目が見えた。

 1回目の結婚生活が破綻(はたん)し、家に戻ってきた30歳のころのことだ。

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 智子さんの父は、1927年に福島県で生まれた。6人きょうだいの長男で、小学校を出て靴職人になった。

 酒乱の父親に代わって弟たちの面倒をみる評判の孝行息子だった。18歳のとき、国のため、親孝行のためにと、陸軍に志願し、旧満州(中国東北部)へ渡った。

 そこで何をしたかは詳しくは知らない。「戦争の後始末をした」と聞いている。

 シベリアに5年間抑留され、故郷に戻った父は、幼なじみだった四つ年下の母と結婚した。

 母にとって父は「やさしいお兄ちゃんという感じで、ハンサムで、かっこよくて憧れだった」という。2女1男に恵まれ、父は靴職人としてよく働いた。

 だが、いつのころからか、あれほど嫌っていた酒を飲むようになる。

 午後9時過ぎに仕事を終え、飲み始める。一升瓶を空にすると外に出かけてさらに飲み、帰宅すると暴力を振るった。

父の暴力の「盾」になってくれた姉

 母の髪をつかんで引きずり回し、止めに入る姉を足蹴りし、殴った。姉はいつも、父が酔って帰ってくると、智子さんと弟を逃げさせてくれた。

 父の稼ぎはよく、生活は豊か…

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