2013年1月21日、フィリピンの首都マニラの空港。到着口を歩く原木裕さんは「頑張ってくださいね」と、笑顔の女性から小さな巾着袋を手渡された。
女性は搭乗便の客室乗務員(CA)。袋の中身は――小瓶?
理由もわからず受け取ったものの、どうやらこの袋は自分だけに渡しているようだった。
今回のマニラは50歳にして初めての海外駐在だった。IT会社に勤め、海外出張経験は多い。
でも何度も訪れた海外も、何年もの駐在となれば話は別だ。
フィリピンで初の子会社を立ち上げる任務を受けた。知り合いもゼロの状態からのスタートとなる。漠然とした不安を感じていた。
そんな思いを抱えるなか、空港内でもらった巾着袋。なぜ自分にだけ?
名前もわからないCA でもお礼がしたい
空港から会社に向かう送迎車の中で確認してみると、日本酒2本と達筆な字で書かれたはがきだった。
〈原木様 本日のご利用、誠にありがとうございました。今日からのMNL(マニラ)でのお仕事が順調に運びますよう、乗務員一同心よりお祈りしております〉
〈これからマニラと日本との往復も多くなるかと存じます。また機内にてお会いできますことを楽しみにしております。どうぞお体に気を付けてご活躍ください〉
はがきは初めて駐在する自分のために書かれたメッセージだった。
搭乗便には別の会社の知り合いがたまたま乗っており、駐在のことを話していた。多分それを耳にしたのだろう。
日系の航空会社のホスピタリティー基準でいえばあたり前なのかもしれない。だが素直に感激した。
「いただいた言葉を胸に、これからも頑張っていこう」。心細かった異国の地での思わぬエールだった。
原木さんもその夜、筆の代わりにキーボードをたたいた。
名前も知らない、顔もうっすらとしか浮かばない。だけど、駐在が決まったときから抱えていたこの不安を晴らしてくれた相手にお礼がしたい。
原木さんはその航空会社の知り合いに連絡をとってみた。
〈本日無事マニラに赴任しました。赴任の飛行機にて、たまたま同じ飛行機で赴任する関係者との会話を聞いた乗務員が『おひとりで赴任です? 頑張ってくださいね。』と以下のコメントを葉書に書いて、あわせて機内で提供している(?)日本酒2本をいただきました〉
「明日からは頑張らないとな」。一期一会に感謝しつつ、駐在初日を終えた。日本酒はお守りにとっておいた。
このときはその後につながるとは思いもしなかった。
それから半年。
フィリピンでの新規事業に悪戦苦闘していたころ、一通のメールが届いた。
差出人は以前、メールを送ったうちの一人。
添付されてきたファイルをクリックした。
見覚えのある達筆な文字で書かれた手紙だった。差出人はあのときの客室乗務員の女性からだった。
仲介してくれた知り合いによると、原木さんから聞いたエピソードを社内報につづった。
日本酒「伯楽星」にあったドラマ
すると、それをみた女性が「あれは私です」と連絡をくれたらしい。
1万人以上の社員がいる会社だったが、その知り合いと女性はかつて東北のボランティアで一緒に活動したことがあったという。
この女性からの手紙で、なぜ日本酒をプレゼントしてくれたのか。数カ月の謎が解けた。
〈原木様は機内でシャンパンをお召し上がりでしたので、正直なところ日本酒を喜んでいただけるのかと不安がありましたが、メールを拝見し、安堵(あんど)致しましたと同時に、お客様と気持ちの交流ができたことに大きな喜びを感じました〉
〈機内ではお話しできませんでしたが、あの『伯楽星』は宮城の蔵のお酒で、震災では柱だけになった蔵を建て直すのに全く別の場所に蔵を興し、一から造り始めて以前よりよい品質のお酒を造ることに成功した初年のお酒です〉
〈マニラで新たに事業を興される原木様に是非お召し上がり頂きたくあのような形をとらせて頂きました〉
日本酒を渡されたのは駐在のお祝いぐらいにしか思っていなかった。しかし、贈り物の意味を知ったとき、胸が熱くなった。
「駐在の心の支えとして、初心忘るべからず、という自戒も込めてずっと大事にしていた」。原木さんは何度もこの手紙に励まされ、くじけそうになったときはこの手紙を読み返した。
還暦前に再び挑戦 力をくれたのは……
大事にとっていた伯楽星も手紙をもらった後、ある夜に飲んだ。すっきりした味。日本からフィリピンに至るまでの数カ月の出来事を思い出しながら味わった。
駐在を始めて3年半後、16年にフィリピンでの事業を終え、原木さんは日本に戻った。
帰国してから数年が過ぎた20年、原木さんも役職定年となる年次になった。
このまま会社に残って後輩をサポートするという道もあった。
そんなときに国際協力機構(JICA)の求人サイトでフィリピンのリサイクル工場の運営責任者の募集をみた。
3年半の駐在生活で、貴重な経験をくれたフィリピンに何かの機会があれば、恩返ししたいという気持ちを持っていた。前回の駐在でフィリピンのゴミ山などの廃棄物の問題の深刻さを知っていた。フィリピンの人たちへ直接何か役立てる仕事だと思った。
その日のために東京・浅草で英語の観光ガイドのボランティアも続けていた。
還暦を前にしてチャレンジを後押ししてくれたのはやはりあの手紙だ。
面接の結果、フィリピンで再び暮らすことが決まった。
女性にはまだお礼は直接言えていない。そのときにはしっかり感謝を伝えよう。
連載「想いをつづって」
忘れられない手紙はありますか。大切な手紙はありますか。手紙がつなぐ不思議で温かな実話を随時、紹介しています。今まで届けた物語は、こちら。